2026/06/04
事例インタビュー
兵庫県三田市を中心に、放課後等デイサービス、保育所等訪問支援、就労継続支援B型など、多角的な福祉サービスを展開する株式会社オフィス野村様。
会長の野村ひろこ様は、かつて市議会議員として市政から福祉の重要性を説き、自ら現場に立ち、事業所を運営されています。
事業展開の経緯などを会長の野村ひろこ様にお話を伺いました。
この記事(前編)では、創業の経緯や実践してきた「先駆的な療育」など療育支援について。
後編では、就労支援の事業展開の経緯や運営についてお伝えします。
――野村会長は、かつて市議会議員として活動されていたそうですね。そこから福祉事業に進まれたきっかけを教えてください。
野村様:以降野村)議員になる前は、自宅でピアノ教室をしていました。ありがたいことに、多くの子どもたちが通ってくれていました。
私は、ピアノ教室を始める前から、コーチングや心理学を学び続けていました。
「どうすれば子どもたちが安心して成長できるのか」
「どうすれば自己肯定感を下げずに関われるのか」ということを、ずっと考えていたんです。
その中で、私が何より大切にしていたのは、「子どもを否定しないこと」でした。
レッスンに来た子どもたちには、
「お疲れさま」
「今日は学校どうだった?」と、まず安心できる声かけを大切にしていました。
そして、ピアノを間違えた時も、
「間違っていいんだよ」
「家で無理して練習しなくても、ここで一緒にやったらいいよ」と伝えていました。
すると不思議なことに、子どもたちは少しずつ安心して弾けるようになり、間違いも減り、自分から練習してくる子どもたちがどんどん増えていったんです。
そのおかげもあって、ピアノ教室にはたくさんの生徒さんが来てくださるようになり、皆さんがワクワクしながら通ってくれていたことを、今でも感謝しています。
その後、PTA活動や地域活動にも関わるようになり、周囲から声をかけていただいて、市会議員となりました。
議員時代は、「福祉」と「教育」を大きなテーマとして、現場の声を大切にしながら、3期12年間活動してきました。
ただ、その途中で、
「三田の福祉と教育を本気で変えたい」という思いが強くなり、市長選挙への出馬を決意しました。
講演会なども含め、本当に多くの方が力を貸してくださり、皆さんと一緒に頑張りましたが、力不足で当選することはできませんでした。
市長選挙の後は、市会議員に戻る気持ちはありませんでした。恥ずかしながら、選挙でお金も使い、仕事もなくなってしまいました。
でも、不思議と私はワクワクしていたんです。「ここからまた始めよう」という気持ちが、どこかにありました。
その頃から、カウンセリング、コーチング、講演活動などを少しずつ続けていたところ、ありがたいことに少しずつ仕事の依頼をいただけるようになっていきました。
今振り返ると、選挙に落ちて、お金もなく、不安もあったはずなのに、それでも楽しそうにワクワクしながら動いていたことで、多くの方が声をかけてくださったのだと思います。
私はその頃、「自分はワクワク病だな」と感じていました。ワクワクしていると、人とのご縁が広がっていくんだなということを、身をもって感じました。
本当に多くの方に助けていただき、支えていただきながら、今の自分があることに感謝しています。
その後、ご縁をいただき、七田チャイルドアカデミー様から講演依頼をいただくようになりました。
保護者向けの子育て講演や、職員研修、コミュニケーション研修など、全国で研修活動をさせていただく機会も増えていきました。
七田チャイルドアカデミー様は、
「子どもを認めて、褒めて、愛して育てる」という理念を大切に、子育て支援をされていた場所でした。
私自身も、多くのお母様方と出会い、たくさんのことを学ばせていただきました。
――議員としての活動が、福祉の現場と深くつながっていたのですね。
野村)そうです。今から30年ほど前、私が市議会議員になった頃のことです。
きっかけは、PTA活動を通して出会った保護者の方々との関わりでした。
当時、障がいのあるお子さんを育てる保護者の方々は、本当に多くの悩みや苦しさを抱えておられました。
「どうしてうちの子だけ落ち着かないのだろう」
「育て方が悪いのではないか」
「しつけができていないと言われる」
そんな言葉に傷つき、自分自身を責め続けているお母さんたちがたくさんいました。今のように放課後等デイサービスもありません。
療育を受けるために遠方まで通ったり、親同士が協力し合いながらプール療育などを行ったり、本当にみんなで支え合いながら必死に子育てをしていた時代でした。
そして少しずつ、ADHDやLDなどの言葉が知られるようになり、お母さんたちも気づき始めたのです。
「私の育て方が悪かったわけではなかった」
「子どもが悪いわけではなかった」
その言葉を聞いた時の、お母さんたちの表情は今でも忘れることができません。
私は、その声を聞いてすぐに動きました。
市議会の一般質問で、
「保育所、幼稚園、小学校など、すべての教育現場で発達障がいについて正しく理解するための研修を行ってほしい」
と強く要望しました。
ありがたいことに、行政も真摯に受け止めてくださり、市全体で研修が始まりました。
また、校長先生が校長室を開放してくださり、お母さんたちが集まり、安心して話せる場所を作ってくださる学校もありました。
保護者同士がお互いに励まし合い、支え合いながら前に進んでいく姿を、私はたくさん見てきました。
不登校の相談を受けることもあり、私自身も何度も現場へ足を運び、お母さんたちの苦しさや不安に触れてきました。
その中で強く感じたことがあります。それは、日本の教育や福祉には、まだまだ支援が必要だということでした。
そして10年ほど前になりますが、当時の三田市には放課後等デイサービスがまだ2か所しかありませんでした。
「必要としている子どもたちや家族がいるなら、誰かが動かなければならない」
その思いから、使命感に突き動かされるようにして立ち上げたのが「ユニバーサルスクール」でした。
今は放課後等デイサービスや療育の環境が整い、お母さんたちの安心感は以前より大きくなったと思います。
ただ一方で、便利になったからこそ、昔のように保護者同士が励まし合い、支え合う関係が少しずつ少なくなっているようにも感じています。
人は便利さを得る一方で、人と人とのつながりを失ってしまうこともあるのかもしれません。だからこそ私は今でも、「支援」だけではなく、「人と人とのつながり」を大切にしていきたいと思っています。
――10年前の放デイといえば「預かり」が中心だったと聞いていますが、ユニバーサルスクールでは当時から非常に専門的な療育を行われていたそうですね。
野村)私は、子どもたちには一人ひとり無限の可能性があると信じていました。
そして、その可能性を引き出すためには、一つの方法だけではなく、多方面から子どもたちの力を育てることが大切だと考えていました。
そのため開所当初から、
・学習
・運動
・認知・ビジョン・体幹トレーニング
・芸術活動
・生活習慣支援
など、多角的な視点から子どもたちへの支援を行っていました。
今では国が推奨している「5領域」という考え方がありますが、当時はまだその言葉自体が広く知られていませんでした。
しかし振り返ってみると、私たちが取り組んでいた内容は、自然とその考え方につながっていたのだと思います。
私は長年ピアノ教室をしていましたので、音楽を通した表現活動を取り入れていました。
また、認知トレーニングについては、七田チャイルドアカデミーとの関わりもあり、「子どもの持っている力を引き出す」という考え方を学びながら取り入れていました。
娘は元学校教師でしたので学習支援を担当し、子どもたち一人ひとりの特性に合わせた学びの工夫を行っていました。
息子はスケートボードを通した運動だけではなく、体幹づくりや体力づくりなど、身体を使った活動にも積極的に関わっていました。
さらに、ご縁の中でお習字の先生や音楽の先生など、多くの専門性を持った方々が仲間として関わってくださいました。
また、とても印象に残っているご縁があります。大学の準教授をされていた方が、ご自身のお子さんの不登校をきっかけに大学を離れ、放課後等デイサービスに関心を持たれました。
そして、ご縁がつながり児童指導員としてユニバーサルスクールに来てくださいました。
その方は子どもたちのためのタブレット学習システムを開発してくださり、その後はパソコンを活用したカリキュラムまで作ってくださいました。
今では当たり前になっているICTを活用した学習ですが、当時としてはかなり先を見据えた取り組みだったと思います。
振り返ると、本当にさまざまな方々とのご縁がありました。私は当時、毎日がとてもワクワクしていました。夢中で走り続け、いつも笑顔でいたことを覚えています。
今思えば、その笑顔や前向きな気持ちが、さらに良いご縁を引き寄せてくれていたのかもしれません。
そして利用してくださった保護者の方々が紹介をしてくださり、少しずつ利用者さんが増えていきました。
ありがたいことに開所1年目にはキャンセル待ちが出るほどになり、その後すぐに2つ目の事業所を開所することができました。
今振り返っても、ユニバーサルスクールを育ててくれたのは、多くの方との「ご縁」と「子どもたちの可能性を信じる思い」だったと感じています。
――事業が拡大するにつれ、事務管理の負担も増えたのではないですか?
野村)最初は、娘が独学でパソコンを使ってシステム化してくれました。
でも、児童や事業所が増えてくると、個別支援計画の期限管理やモニタリングの記録、そして何より複雑な国保連請求の事務作業が、一人の手には負えないレベルになってきました。
「このままでは支援の質に影響が出る」と危機感を感じ、管理システムの導入を検討し始めました。
実は、当初は自社でシステムを作って販売しようと考えたほどだったのですが(笑)
専門家に聞くと「とんでもないコストと労力がかかる」と言われ断念したんです。そんな時、偶然見つけたのが「HUG」でした。
――数あるシステムの中で、なぜHUGを選ばれたのでしょうか
野村)決め手は、当時の担当者の「誠実さ」と「スピード感」です。そして、何よりシステムが「現場目線」で作られていました。
娘がシステムを見てすぐに、
「これなら、個別支援計画の期限切れも自動で防げるし、モニタリングの流れも完璧。うちで作るよりずっといい!」言ったので即決しました。
機能の利用は段階的にしましたが、現在は請求業務も含めてすべてHUGで一元管理しています。
事務作業の時間が大幅に削られたと担当者が言っていたので、これは経営として非常に大きな収穫でした。
弊社が提供している「HUG」は放課後等デイサービス運営会社が開発したソフトウェアです。
請求業務はもちろん、個別支援計画やサービス提供記録の作成から管理も簡単に行えます。
実際にHUGをご利用いただいている放課後等デイサービス事業者様の感想をご紹介していますので、請求ソフトや管理システムの導入を検討されている方はご参考くださいませ。
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